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いつでも居場所があるように


我が家のお風呂の栓は、浴槽の上側についているプッシュ栓で、
力を入れて押したらお湯が抜ける仕組みだ。
この銀色にピカピカ光る丸いボタンは、
次男にとってはとても魅力的で(そりゃそうだろうね)よく触ろうとする。
応用編受講以前の私は、「それは触らないでね、お湯が抜けちゃうからね〜」
と言って次男の手を別のおもちゃの方へ動かしたり、
ボタンに触れないところに次男を移動させたりしていた。
しかし、1才半の子にとって、このボタンの魅力は抗いがたいものだろうし、
次男がちょっと押したぐらいではお湯は抜けなさそうだし、
お湯が多少流れてしまったところで、栓をもう一度したらすぐに解決することなので
私はこのことを不適切な行動だと判断しないことにした。


お風呂の栓を嬉しそうに触っている次男。
うんうん、お湯も抜けてないし、嬉しそうだしよかったよかったと思った瞬間、
長男が「しゅんすけ、それは触っちゃだめだよ!」
と言って次男の手をはらった。
支えにしていた手をはらわれたので、浴槽の中の次男はバランスを失った。
次男の体はずっと私が支えていたので、そのままお湯の中に座らせてなにごともなく、
次男はちょっとびっくりした顔をしただけだった。
私の陰性感情は−2。

しかし長男がなぜ次男の手をはらったかというと、
彼はお風呂のお湯が抜けてしまわないように、
私が今まで次男をお風呂の栓から遠ざけてきた代わりを務めようとしたのだ。
彼の目標は協力的で、対処行動が次男にとって危険だっただけ。
これは彼の失敗だ。
ではここで私がすべきことは?
・・・とここまで考えている間に陰性感情は消えていた。
長男を見ると、しまったという顔をしているではないか。
自分が失敗したことをきちんとわかっている。

私 「こうすけ、今、しゅんすけがお風呂の栓触らないようにしてくれたんだね。」
長男「うん、だってお湯がなくなっちゃったらみんな風邪ひいちゃうからね。」
私 「そっか、そう考えてくれたんだ。
   でも、お湯がなくなっちゃうのと、しゅんすけがおぼれちゃうのだったら、
   どっちがたいへん?」
長男「あ、しゅんすけがおぼれちゃう方!」
   泣きそうな顔になる長男。あー怒らないでよかった・・・。
私 「そうだよね、お風呂の中はすべりやすくて危ないから、
   しゅんすけがおぼれないように気をつけてくれるかな?
   お湯はね、すぐには全部なくならないから、
   しゅんすけがいたずらしても、また元通りにしたら大丈夫だからね。」
長男「うん、わかった。」
   長男は次男の頭をなぜた。
   次男はすごく嬉しそうに笑った。


もし私が怒ってしまっていたら、長男はどんなに居場所をなく感じただろうと思って、
私はアドラーを知っていてよかったと本当に感謝した。
今まで私はたくさん失敗してきたけど、もう同じ失敗はしないから。

長男も次男も、私にとって同じだけ大切なのに、
・・・次男が浴槽ですべりかけたことと、長男が私との間に居場所を失うことと、
どっちがたいへん?



やっと、長男とよい関係が築けてきたと思う。
それは彼の穏やかな顔を見ていればわかる。
そして長男が私を気遣ってくれることがとても増えたようにも思う。
長男が次男のことをよりかわいがってくれているようにも思う。
もしかすると、私が気づいていなかっただけなのかもしれないけれど。

私が昨日けがをした指に貼っているばんそうこうを見て
長男「お母さん、そのけがきっともう治ったと思うよ。」
私 「そうだね、もう痛くないからね。」
長男「あのね、そーっとはがすと痛くないよ。べりってやったら痛いからね。」
私 「ありがとう。後でそーっとはがすわ(^^)」
長男「ぼくも指にガムテープが貼り付くことよくあるんだけど、
   そーっとはがして、丸めてばしんって指からはじいて取るんだよ、
   そうしないと、いたっ!てなるんだよ!」
そうやって丸めてはじかれたガムテープのその後の行方の方が
私にとっては興味のある問題ではあったのだけれど・・・。
今は彼の優しさをありがたく感じ、
「粘着テープをいかにしてはがすか」という彼の関心に関心をもつことの方が
きっと私たちにとって大切だと思い、
私の興味についてはまた別の機会に話をしようと考え直した。


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by Inahoadler | 2016-02-27 00:53 | Comments(2)

彼の目標

この土日に、アドラー心理学基礎講座の応用編前半を受講した。
まだまだ私は意識的上手未満のアドレリアンだなあと実感し、
理屈はわかるようになっているのに、
感情を使って子どもを操ろうとしている自分がまだいることに気づいた。
長男は夫と2泊3日の留守番をしてもらっていたので、
受講中はまったく陰性感情を使う必要のない次男とのつきあいだけで
ひじょうに平穏な生活だったが、帰宅してからが本番だぞ、と気合いを入れて帰った。


さあご飯を食べようというときに
「お母さんこれ見て!ティラノサウルス!目も光るんだよ!」
と、私の留守中に作ったものを持ってくる長男。
 ティラノサウルスの目よりも、君の瞳が輝いてるよ・・・
私 「そうなんだ、かっこいいね!」
長男「この目は、ガムの包み紙なんだよ!それでね、口も動くよ!」
 これから2週間後の応用編後半までの宿題は、「相手の関心に関心をもつこと」にしよう。
私 「ほんとだ〜(^^)」
長男「いいでしょ(^^)」
私 「うん。・・・ご飯食べよっか。」
長男「うー・・・うん、そうですね。」

ああ、私の心に何もひっかかりを感じない。
長男はご飯より何より、私にティラノサウルスを見てもらいたかったんだ。
きっと彼には、ご飯よりも大切なことが何かしらあるから、
「ご飯だよ」に対して「ご飯食べない」という表現をしてしまうだけなのだろう。
私とその大切なことを共有できたら、多分彼はご飯に意識を向けられるんだろう。
そして「早く食べようよ」「もうちょっと待って」の繰り返しにかかっていた時間は、
私が彼の「見て!」につきあう時間よりも長い。


またある日の夜ご飯
私 「ご飯できたよ、食べよう」
長男「んーちょっと待って」
私 「しゅんすけもお母さんもお腹空いてるから食べるよ。」
長男「先に食べてて、ぼくこれやってから行く」
私 「・・・あったかいうちに食べてほしいんだけどね。まあいいや。いただきます」
長男「どうぞ〜」
 私と次男が食べているところに長男が歯車のおもちゃを持ってくる
長男「見てみて、すごいのできたよ!これ重なったままぐいんってなるよ!」
私 「うん、ご飯終わってからゆっくり見せて(^^)」
長男「えー今見て。チラって見るだけでいいから!」
   今までだったら「見てはいけない」って思っていたけど、
   長男が期待のこもった目で私を見つめていてひじょうにかわいいのですね。
   しかも私に陰性感情はない。もちろん彼にもない。
   ーこのまま私が彼のこの(ほんとにほんとに些細な)お願いをきかなければ、どうなりますか?
   きっと彼は不機嫌になり、私も嫌な気分になるでしょう。
   そしてご飯のことがまた権力闘争の材料になるでしょう。
私 「・・・ちらっ(笑)」
   と言って長男の手元を見た。
長男「(^^)」
   満足そうに微笑んで去って行った。
   それから長男はおもちゃを片付けて、「ぼくもご飯食べま〜す!」と言って
   手を洗って食卓についた。

ああ、彼が望んでいることは、私と楽しい時間を過ごすことなんだ。
彼はどんなときでも、私と楽しく過ごそうとしている。とても協力的な目標だ。
でも楽しく過ごすためには、時間を守ることも大事だよって、
そういう話し合いの仕方をしていけばいいんだ。

今まで私がこだわっていたことが、競合的な目標だったのかもしれない。
私がご飯を食べるよって決めた時間に食べることだとか、
私がお風呂に入るよって決めた時間に入ることだとか・・・。
でも楽しくご飯を食べて楽しくお風呂に入るためには、
彼のやりたいことや見てほしいこと、と折り合いをつけていくことが大切なのかもしれない。
アドラー心理学を使って、
決められた時間に決められたことをできるような子どもに育てる
っていうのは、多分間違った使い方だ。


・・・ここにきてやっと、「どんなときでもプラスを見」れるようになってきた。
長男はいつも良い意図をもって、協力的目的に向かって行動している。
目的が競合的なのは私の方だったから、衝突が起こっていたのだ。
まったく、アドラー心理学の公式通りだ。
理屈をわかり、実践し続けること。
ようやく正しいアドレリアンの構えができたかな・・・
   

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by Inahoadler | 2016-02-24 23:15 | Comments(4)

絵本のある風景

最近はあまりパセージを意識をしないでも長男と問題なく過ごせている。
しかしそれは、劇的なエピソードがないということでもある。


私も夫も本を読むのが好きで、もともと家には本が多いのだが
長男が生まれてからは子どもの本も集めるようになった。
冬の間は特に家に閉じこもることが多いので、本を読んであげる時間が長くなるのだが
一冬ごとに長男の読書の成長が感じられてとても嬉しい。
おもしろがって聞いていても、実は内容を理解していないことも多いようだけれど。
というより、内容を理解していなくても、子どもは絵本を楽しめるようだ。


最近の長男のお気に入りは昔話だ。
世界の民話やグリム童話、アンデルセン童話、イソップ物語など。
挿絵程度の絵しかなくても、
少し抽象的なおとぎ話や寓話が楽しめるようになってきたようすだ。
そして、私が家事をしたり、寝る時間になってしまって読むのを中断すると、
いつの間にか自分で続きを読むようになった。

最近はおやすみを言って自分の部屋でひとりで寝ているのだが、
どうやらしばらくベッドの中で本を読んで過ごしているらしい。
朝起きられなくて困るのは彼の課題なので、何も言わずにいると、
ぱさっぱさっというページのめくれる音が聞こる。
昨晩などは20時過ぎにベッドに入ってから、1時間近くも音がしていた。
外は雪が降っていて、あたたかい毛布にくるまって、
初めて読む本に心がおどって、夜更かしのハラハラする気分も心地よくて・・・
その楽しみを私は知りすぎているから、静かに別の部屋で私も本を読んだ。
珍しく、未読の小説が読みたくなって、
アンデルセンの『即興詩人』を読み始めたら夢中になってしまった。
森鴎外の文語訳を安野光雅が口語訳したものを、以前買っていたのだ。
寝息の聞こえる長男の部屋に行くと、
ベッドの下には数冊の本が山をなしていて、アンデルセンの童話集もあった。
ひとつの本を一緒に読むのも幸せだけど
同じ時間に同じ作者の物語を読んでいたんだなと思うと、より幸せに感じられた。



次男も、彼なりに絵本を楽しんでいる。
本を本棚から引っ張り出すことを楽しんでいた時期を経て
絵本の絵に意味があることがわかってきた最近は、
赤ちゃん向けの絵本よりは
もう少しお兄ちゃんが読むようなお話の絵本の方が好きらしい。
『どろんこハリー』や『ゆうびんやのくまさん』、『番ねずみのヤカちゃん』など
犬、クマ、ネコ、ねずみなどの動物が出てくると
「わんわん!にゃー!」とページごとに感動してくれる。
乗り物も大好きなようで、
長男もぼろぼろ・びりびりになるまで読み込んでいた
山本忠敬の「ぶーぶーじどうしゃ」「ずかん じどうしゃ」は、
ひとり静かに、むずかしい顔をして読んでいる。
そしてスズキコージの『エンソくんきしゃにのる』は
汽車とひつじが出てくるので、大のお気に入りだ。
本棚から目的意識を持って本を次々に引っ張り出しているときは、
たいていがエンソくんを探していると見て間違いがない。

また、目新しい本を私と一緒に読むのも好きなようだ。
今日は長男が私に読んでもらう本を探しているすきに、
私のお腹の上に『ねむれない王女さま』を持ってのぼってきた。
「ん?ん?」絵を指さしてこれは何だと催促。
「あ、王さまだね」
次男、満足そうにうなずいてまた指をさす
「ん?」
「おひめさまだ」
ページをめくって「お!とーと!」大きな声で絵を指さして、見開いた目で私を見る
「あ、トマトかな?・・・リンゴかな?」
「ごー!」
「そうだね、これはリンゴだよね」
「ほお・・・ごー・・・」感心したようす。
またページをめくって「ごー!」
「あ、ここにもリンゴがあるね、よく見つけたね」
満足そうにまたページをめくって「わんわ!わんわ!」
「ほんとだ、わんちゃんだね、犬だね」
急いでページをめくって「まんま!」
「ご飯食べてるねー。」
「ん!」眠っている人の絵を指さして、次男は目を閉じてたおれる
「あ、この人ねんねしてるね。しゅんすけもねんねかな? 笑」
すぐに起き上がってページをめくって、はっとした顔で
「おん!・・・だいじ!」
次男が難しい顔で私と交互に見つめているのは、
ばらばらになった本が床に落ちて、踏みつけられようとしている絵だった。
「ああそうだね!本は大事だよね。しゅんすけはおりこうさんだ〜」
1歳5ヶ月の子にはその子なりの、世界の理解があるのだなと感じた。
本は大事なものだとわかってくれているようで、何よりだ。
この後も、羊や馬が出てきて次男はたいへん喜んでいた。
私が文を読まないで、次男に読んで(?)もらうのも、なかなか楽しい。



安野光雅の『きつねがひろったイソップものがたり』と『きつねがひろったグリム童話』は
ひねった構成が、大人も楽しめる絵本だ。
これは長男も次男もお気に入り。
各ページの大部分はイソップ物語やグリム童話の絵本になっていて、
欄外できつねの親子のストーリーが進んでいく。
きつねのコンくんがひろってきた絵本を、読んでとせがまれたとうさんキツネが
字を読めるふりをして、絵を見ながら適当にお話をつくって聞かせているのだ。
話がむちゃくちゃになりそうなところをまとめていくとうさんキツネは
ストーリーテラーぶりも素晴らしいが、
絵が下手でわからないと愚痴ったり、世間知があるところが垣間見えたり、
子どもに突っ込まれてごまかしたり、本編より面白い。
これは安野さんの親への愛情なんだろう。
きっと安野さんと息子さんは、こんな親子だったのだろう。


「キツネの子のコン君は、「とうさんもういちど、読んで」とせがみました。
 とうさんキツネは、「いちどしか読まない、ってやくそくだっただろ」と、
 いって、寝たふりをはじめました。
 なぜ、いちどしか読めないかわかるでしょう?
 でもコン君は、お話なんかどうでもよかったんです。
 その日はお休みだったから、とうさんにだかれて、
 耳もとでとうさんの声がしていれば、それだけで、よかったんです。」
       『きつねがひろったグリム童話 漁師とおかみさん』安野光雅より

親子にとっての絵本という意味は、この文章に集約されている気がして
私はいつも、こう書かれてある最後のページを読むと涙ぐんでしまう。
こんなたいせつなことをさらりと書いてしまう安野さんのことを
私は敬愛し、彼の言葉を本を読む道しるべとしている。
安野さんのことは、長男が生まれてから子どもの本を探しているときに
はじめて知ったので、この出会いをくれた長男に感謝している。
そして、共に安野さんの絵本を楽しめる幸せに感謝している。


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by Inahoadler | 2016-02-16 00:49 | Comments(0)